高度障害によるヒマラヤからの単身帰国     2009.4.14(火)

岡山メラピーク&イムジャツェ登山隊2009(メンバー7名)はメラピークとイムジャツェの6000m2峰の登頂のため、4月1日日本を出発して5月1日帰国予定でネパールに入った。(本隊は所期の目的を達成し、5月1日に帰国した。)

ルクラからキャラバンを開始し順調に高度を上げていった。 シャクナゲ

チュタンガよりルクラを見下ろす。左からカプタン、ヌンプル、右がファリ

トラ峠(4600m)を越える。チュリカルカを経由しヒンクー谷のコテに下った。

キャラバン5日目の4月8日(水)
7:50コテ(3500m)を出発し、12:50タグナック(4300m)に着いた。
ここでの昼食はうどんを数本食べたが戻してしまった。
胃のもたれ感が大きく、何かを入れても戻しそう。夕食はパスし湯とほうじ茶を貰う。


4月9日(木)
朝、おかゆだけを半分ほど食す。
今日はここタグナックに滞在しての裏山4900mへの高度順応日だが、皆を見送る。
お茶少し飲む。左脇腹が痛む、抑えると痛い。顔のむくみが大。自分で写真とる。

夕食とれず、ゼリーエネルギー1つを頑張って入れる。
隊長、副隊長、サーダーと話しあい、私の行動を3タイプに決める。
ひとまず高度をコテに下げ、1)回復させて、本隊の後を追う。 2)コテにて下山隊を待つ。 3)容態をみて緊急下山する。

4月10日(金)

夕方から夜中にかけて雪が積もる。
今朝もこの通り、一面20cm程。
今朝も腹痛でうどんも何も食べること出来ない。
残念だが私は下る。
決壊モレーンの中を上部のカーレBCに登る6名を見送る。

8時、皆を見送った後、ギャルソンシェルパとキッチンボーイのサンゲとポーターと共にコテに下った。
下りでも常に腹が詰まったように感じる。
12時にコテに着き、ロッジに入る。
EPIで暖をとり、ゼリーエネルギー1個を胃に入れる。

15:30ギャルソンが繋いでくれた衛星電話でカトマンズのエージェントと現状を話す。
何も食べれず、顔のむくみも大きいので一刻も早く下りた方が良いとの勧めがあり、幾分の安堵と共に了解した。

登れはしなかったがメラピークに別れを告げる。
カトマンズからのレスキューヘリに17:10乗り込む。

カトマンズ空港18:30着。
19:00病院着入院 CIWEC Clinic Travel Medicine Center

幾つかの検査の内、検便で乳製品由来の菌が見つかった。口から入ったものらしい。
乳製品はしばらく食べないようにとのことである。
思い起こすと、腹の調子の悪くなる前日かその前かの夕食にヤクのチーズを挟んだトーストが出て、皆で臭い臭いと言いながら食べたのを思い出した。皆は何ともないのに高度障害で体力の落ちた私にだけ発症したのだろう。
治療は点滴3本、痛み止めのブスコバン、抗生剤(3日間続けた)であった。

4月11日(土)
点滴が効いたのか楽になった。トーストとモンキーバナナを食す。
午前中に退院しホテルに移る。昼の日本食が腹に残り夕食は抜く。

4月12日(日)
水も飲まないのに夜中に5〜6回小便に行った。体のむくみ水分が体外に抜けているようだ。
朝食後胃が重く、少し痛むのでブスコバンを飲む。
痛さが治まらないので再度病院へ行く。消化剤とブスコバンをくれる。
ここはカトマンズ、ホテルの食事といってもこの体調では口に合うものはない。
夕食に日本料理店『花』の雑炊を食べたがやっと半分であった。
本隊の帰着までは体が持たない。そして帰国便は明日月曜のソウル行きを逃せば木曜になる。
帰路日程Fixの航空券は無駄になったが、命あってのものだねである。
6時間毎にブスコバンを飲みながら13日にソウルへ、そしてやっとの思いで14日に岡山に帰還した。

トップページへ

inserted by FC2 system